結果にかかわらず「やってよかった」と思える中学受験を

小学3年生の終わりから中学受験に向けた準備を始めた息子。
私が目指したのは、「やってよかった」と思える中学受験をすることでした。
息子の主体性をなくすことなく、本人の意思を尊重し、成長できるものでなければ、意味がない
その理念のもと、試験の内容やその対策を鑑みて、私立ではなく都立を目指して頑張ってきました。

そんな3年間をへて、いよいよ本命の試験の日
行きはパパと行きたいというので、私は試験後のお迎えを担当しました。
今、試験が始まった頃だな、とか、あと10分で終わるな、無事に取り組めているかな、とか、時計を見てはいろいろと想像して母はお腹がキューっとなりました。
「とにかく、全力を出し切れますように」と祈りながら、祈りすぎて、合わせている手が痛くなりながら、学校に向かいました。
募集人数に対して、驚くほど多くの保護者が受験番号ごとに整列して、迎えを待っていました。
私立と違って、募集人数ぴったりの合格者しか出ません
今年の男子の倍率は5.5倍
例年それくらいなので、息子は過去の倍率を見るたびににひるみかけましたが、「その倍率を実質1倍にするために勉強を頑張っているんだよ。大丈夫、できるから。」と声をかけてやってきました。
実際に息子は努力し、模試の結果や塾の成績を見る限りでは、かなり1倍に近づけられたと思います。
当日いつも通りの力を発揮できさえすれば、大丈夫だという確信はありました。
それでも、やっぱり親は不安なものですね。

寒さと緊張で体を固くして待ち続けること20分、受験番号ごとに子どもたちが出てきました。
息子の教室の番になり、「おつかれさまだったね」と声をかけたら、一言目が「よくできたよ」でした。
その言葉に、涙が出そうでした。
合格を確信した安心感とかではなく、力を出し切って受験を追われたことへの感謝の涙です。
結果がどうであれ、満足できる終わり方ができた、と思いました。

帰りのバスの中でも、「これでだめだったとしても、それはそれで勉強だから」と息子が言いました。
それだけやり切れたということです。

息子は、何かを表現して伝えることが苦手で、”今日の学校での出来事”みたいな日常的なことでも、何を言いたいのかよくわからないことが多かったです。
そんな息子が、何百文字もの難解な文章を読み、自分の考えを踏まえながら400字ほどの作文を書くことができるようになりました。
当初は私立中学を目指して受験勉強を始めましたが、知識の詰め込み&競争心をあおり続ける指導に違和感を感じ、考える力や表現する力を身につけてほしい、と思い直し都立中に目標を変え、勉強の方法も変えました。
その結果、中学受験以降も、大人になってもずっと役に立つ力を身につけられたと思います。

中学受験は結果がすべて、のようにとらえられることもありますが、そうではない受験がしたかったです。
そして、それができたと思っています。
結果がまだ出ていない今の時期だから言えるのかもしれませんが…。
でも、結果を待ち遠しいと強く思わず穏やかに発表を待っていられるのは、やっぱりいい受験ができたからじゃないかな、と思うのです。

初詣のお願いは、「合格できますように」ではなく、「息子にとって一番いい結果が出ますように」としました。
どの進路が結果的によいかはわかりませんから。
とにかく、3年間頑張り切った息子を心から誇りに思います
本当にお疲れさまでした。

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