幼い娘への「今が一番かわいいときね」の違和感 「何歳になっても今日が一番」です

4歳になって「かわいいときね」と言われなくなりました

先日、娘は4歳になりました。
「なんでも自分でしたがって大変ね」とか
「もうすっかり口もたつようになったね」とよく声をかけられます

ついほんの少し前まで、抱っこ紐に入った娘を見て言われることは必ず、
「今が一番かわいいときね」でした

そういえば最近、「かわいいときね」って言われないな…。
こんなに毎日かわいくて仕方ないのに。
むしろ、あの頃よりも日に日にかわいさが増しているのに

 

「今が一番かわいいときね」と言われるのが嫌だった

本当に会う人みんなからかけられていた「今が一番かわいいときね」という言葉。
「今日はいい天気ですね」と同じくらい、定型化された挨拶なんだと思います。
何の気なく話しかけてくださったのだと思うけれど、私はとっても違和感がありました。

「今がいちばん」ということは、これから可愛くなくなるということ・・・?

新生児から2歳ごろまでは、ひとりでは何もできない赤ちゃんで、育児の負担もとても大きいです。
だから、今が一番”大変”だけど、今が一番”かわいくもある”からがんばってね。
そういうエールなのかもしれない。

でも、私はすんなり受け入れられなかったし、むしろここが頂点か…とへこみました

 

かわいさはその時々で比較するものではなく、積みあがっていくもの

「今がいちばん」という表現は、「点」の考え方に基づくんですよね。
その時々を切り取って、その度合を経年で比較しているから「今がいちばん」となる

でも、子育てって、線グラフとか積木みたいなものだと思っています。
今日かわいかった、というそのかわいさは、過去のかわいさに積み重なり、今後もどんどん蓄積していくもの。

だから、毎日の積み上がり方は、もしかしたら緩やかになっていくかもしれないけれど、
いつが一番かわいいかというと、それは日々最高記録を更新されていくわけで。

正しくは「今日もまたさらにかわいいね」だと思うのです。

 

何歳になってもかわいさと大切さは増していくもの

4歳になった娘だけでなく、8歳になった息子にも、
これまで積みあがってきたかわいさがあります

どんどん背も伸びて筋肉もついてギュッと抱きしめても固いけれど、
使う言葉も恰好をつけて悪びれたりしてきたけれど、
息子こそ「かわいい」なんて誰からも言われなくなったけれど、
それでも2歳の時よりも確実にかわいいです。

そこに、できることが増える楽しみ、頼もしさ、面白さなどが加わります。
どんどん一緒にいることの喜びが増します
「今がいちばん」なんて言われたけど、そんなこと全然なかった
あるとしたら、「かわいい」とともに「大切」という感情が出てくることかもしれません。

 

少し前に定年を迎えた叔父。
その叔父に曾祖母が「〇〇、ここまでよう頑張った、偉かった、ホッとしたわ」と
言葉をかけていたのが印象的でした。
曾祖母にとっては65歳の大人の男も、かわいい息子
ずっと積みあがったかわいさ、大切さがにじみ出た言葉でした。

 

小さなかわいいの積み上げで、子育てもスムーズにいくはず!?

「あの頃はかわいかったのに」と言うのは、点と点で比べるから
あの頃のかわいさを積み重ねてきた、今を見るべきなんです。
大人だって、若くてピカピカしていた頃の話ばかりされたら嫌ですよね。
その頃を経たからこそ、今の魅力があるのに、って思います。

もちろん、子どもに対してはいい感情ばかりじゃなくて、ネガティブな感情を持つこともそれなりにあります。
腹が立ったり、苛立ったり、そんなこと日常茶飯事…。
そんな時にかわいさの積み上げが十分できていたら、そのネガティブなパワーにも負けないのです。きっと。

日々の小さなかわいさも見落とさず、ひとつひとつきちんと積み上げていけるようにしたいです。

 

 

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