時代変わればパワハラ!?新人スパルタ指導の回顧録

私は16年前に大学を卒業し、新卒入社として経営コンサルティングの会社に入りました。
厳しい業界と知って覚悟はしていたものの、それはそれは想像をはるかに超えるもので。

仕事自体のプレッシャーもありましたが、指導のスパルタさがまたすごかった。
当時はパワハラという言葉はありませんでしたが、今、あれをやったらパワハラになるんだろうな…と思うことだらけです。

パワハラという言葉に頼ることができず乗り切るしかなかった。
当時は辛くて仕方なかったけれど、あれを乗り越えたことは、自信になっているのも事実です。

 

パワハラという言葉や概念はなかった時代

今でこそ一般的な言葉となりましたが、私が新卒入社した16年前は「パワハラ」なんて言葉はありませんでした
上司や先輩の言うことは絶対である。
社会は厳しいものなので、指導が厳しいのも必然である。
それが普通だと思っていました。

特に私は文学部を出て、経営コンサルティングの会社に入ったこともあり、同期の中でも一番遅れているという自己認識
会社で自分が一番何もわかっていないのであり、他の人はみんなすごいんだ!という自己暗示。

もし当時パワハラという言葉が既にあったとしても。
パワハラだ!と声を上げる自信も結局はなかったかもしれません。

 

入社1日目から終電続き 地獄の議事録作成

コンサルティング業界がハードワークであることは認識していました。
でも、新人研修中は17時に帰れるだろうと思っていたらとんでもなかった

1日目、入社の挨拶もそこそこに、びっしりと研修カリキュラムが詰め込まれています。
そのカリキュラムが終わるのが17時。
そこから、その日の報告書として「議事録」を提出させられるんです。

現役コンサルタントの先輩方が議事録チェック担当として日々シフトを組んで来てくださるのですが…そのチェックが半端なく厳しい
「議事録」なんてまともに書いたことのないのに、実プロジェクトと同じ品質の議事録を求められます

最初に議事録を提出した時の先輩とのやり取りは今でも忘れられません。
先輩「……これは何?
私「(え…?何を聞かれているのかわからない…)えっと…今日の議事録です…?」
先輩「これは議事録じゃない。
私「(????どういうこと?)えっ…と…」
先輩 (無言のまま、指で席に戻ってやり直すように指示

議事録じゃない、ってどういうこと?
やり直すにも何をどうしたらいいのかわからないぞ…。

あ…!わかった!!!
ワードの一番上に「議事録」というタイトルをつけて再度挑戦。(今思うと私も勇気ありますよね…)
議事録チェックの先輩は2人いて、2回目は先ほどと違う先輩の方に当たりました。
でも、同じことを言われたんです。
「……これは何?」と。

脳内がフリーズして何も答えられなくなった私。
でも今回はこのままだとヤバすぎると思ったのか、その先輩は教えてくれました。
・まずフォーマットとしてがたがたしているから、インデントをつけて、項目のレベル感を揃えましょう。
・議事録というのは日記とは違う要点と次回に向けた課題をまとめましょう。
・細かく見ればツッコミどころはいっぱいありすぎるけど、とりあえずその2点をやり直して、議事録としての体裁になるようにしてきて。

ぼっこぼこ。
そうか…議事録と日記は違うのか!
でもさ、議事録って何かも教えられなかったし、そもそもワードの使い方もよく知らないし(インデントって何!?)。

その後も5回は提出フィードバックやり直しのサイクルを回して、それでも合格にはならなくて。
時計を見ると23時50分…終電も近いということで、残りの修正は宿題になりました(もちろん翌朝始業前に提出ですよ)。

 

研修中、ずっとこんな感じでした。
議事録が終われば帰れるんですけど、なかなか合格にならないんです。
不幸中の幸いは、同期12人、みんなが同じ状況だったこと。
研修期間、全同期合わせて最短合格が3回目。
みんなで「議事録ってなんだよ!」と言いながら、開き直れたのが救いでした。

今思うと、ストレス耐性を養われてたのかな…とも思います。
いや、新人をいじめてストレスを発散していたのかな、とも。

 

具体的な指導がない、ざっくり厳しいフィードバックの上司

地獄の研修期間を終えて、ついに実プロジェクトに配属になりました。
私は人事分野の配属。
早速、あるクライアント企業の人事制度設計に携わることになりました。

最初の上司は40代くらいのマネージャー
クライアントのヒアリングが終わると、制度設計報告書を書いてみなさい、と言われました。

いきなり…!?そう、いきなりです。
コンサルタントは新人であれ、プロジェクトにアサインされた時点でプロとしての仕事が求められます

クライアントとの契約が決まったら、プロジェクトが動き始めるまでに、クライアント以上にクライアントの会社の状況を把握しておくことが求められます。
そして、人事領域配属の私の場合はそれに加えて、人事に関する知識も

クライアントの状況 × 人事知識 = ソリューションの提供

必死に人事関連の書籍を読み漁り、事例を調べ、何とか期日までに報告書を作りました。
で、いざマネージャーに提出!

すごくたくさんのフィードバックが返ってくるのだろう…と思っていたら、ふた言だけでした。
「人事制度はメッセージなんだよ。君のにはメッセージがないんだよ。」

( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン

「考え直して。」

( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン ( ゚д゚)ポカーン

え…?何を?どう?メッセージ?メッセージって何?

議事録の最初のフィードバックと同様、何がダメなのか全く理解できず
でも追加質問も受け付けてもらえず、とりあえず手を動かしてみたけれど。
クライアント報告の前日に再提出したものをぱらっとめくった瞬間に「もういいよ、僕が作ったから」だと。

えええ…この修正にかけた私のパワーはなんだったの?
っていうか、何がどうダメだったのか教えてくれないの?
メッセージって何なんだよ?

このマネージャーの言葉の意味が分かったのは1年くらい経ってからでした。
自分でいろんな事例を見る中で、感覚的に感じ取れた時、これだ!とスッキリしました。
言葉で教えるよりも、自分なりに理解してほしかったのかな、と思います。

 

必死で作った報告書をパラパラめくって投げ捨てられる

次にプロジェクトを組んだ先輩も強烈でした。
100枚くらいの報告書を作って提出したんですけど。

パラパラパラってめくって、直後に「全然ダメ」と投げ返されました。
クリップで止めてないから、バラバラになるやん!
床に落ちた紙を順番にそろえながら拾おうとしたら、「そろえても意味ないよ、そんなクソみたいな報告書」と。

ええええええ・・・・。
確かに新人が作ったものを、このままクライアントに提出できるとは思ってはなかったけどさ。
そんなにボロボロ…?

ここでも自分の自己評価の低さゆえに、私は乗り越えられたんだと思います。
私「何がダメですか?」
先輩「考えて」
私「…すみません、これが精いっぱいでした」
先輩「これが精いっぱいって、やばいね」
私「…すみません、教えてもらえませんか」

そこから、またスパルタ指導が終電まで続く日々が続きました。
報告書の論理構成の考え方各項のタイトルの付け方効果的な図の見せ方
20文字のタイトルを決めるのに3時間討論したこともありました。

でも、きちんと教えてもらえて勉強になって、本当にありがたかったです。
当時は自分のことだけに必死で、今日も終電まで残らされた!と思っていたけれど、今思えば先輩は後輩の指導のために毎日終電まで残ってくれていたんですもんね。

プロジェクトの終わる頃には、私も最初の報告書を持ってこられたら「ふざけてんの?」って言ったかも、と思えるまでになりました。
そして、先輩には「根性があってびっくりした」と言われました
この子なら指導しただけ伸びるだろうと思って、鍛えてくれたのだそうです。

 

何度提出しても、提出する度に指摘が増える

経験を積むにつれて、見る気もしないと言われるようなフィードバックはなくなりました。
代わりに、理詰めの厳しいフィードバックの嵐
それがコンサルなんですけど、エンドレスなので精神的に結構追い詰められます。

報告書はフィードバックを受けるたびにブラッシュアップされていきます。
最初は大きな視点でのフィードバックだったのが、ブラッシュアップされるにつれてだんだんと細かな観点でのフィードバックになります。

会議する時間がない場合はメールでフィードバックをもらうのですが、どれだけスクロールしても終わらない
読む側も大変ですが、フィードバックする側ももちろん疲れますよね。
合間合間に厳しい言葉が入ることも少なくありません。
「ねえ、ちゃんと考えてんの?」
「これはおかしいだろ!」
「脳みそ動いてる?」
「このプロジェクトから外されたいの?」
会議では聞き慣れていても(笑)、字で見るとまた違ったインパクトがあって結構辛かったです。

 

私が今もパワハラだとは思わない理由

もし当時パワハラという言葉が存在していたとして。
それでも、私はパワハラを受けているとは思わなかったと思います

すごくしんどかったし、辛かったけれど、確実に成長している感覚があったから。

そして、それは後輩を育てようという先輩たちの責任感や愛情からくるものなのだと信じていたから。

厳しいコンサル業界で生き抜くためには、自分が強くならなければならないと覚悟を決めていたから。

パワハラに近いことをされるのは自分の力不足だという自己評価があったから。

二度と一緒に仕事をしたいとは思いませんが(平和ボケしている今の私には、もう絶対耐えられない)、友人として会うにはいい人たちだったと思っています。

 

私が受けたような愛に基づくスパルタ指導ではなく、悪意にまみれたパワハラも巷にはあるようです。
この2つは全く別のものなのに、今や区別なくひとまとまりにされています。

スパルタ指導も合う合わないはあるだろうけど、いい側面もあったのにな、と思ったりもします。
私はいい環境で厳しい指導を受けたおかげで、社会人として一人前になれたことを今でも幸運だったと思っています。

 

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