巧妙な翻訳を見て恍惚感を覚える 幸せな充実感を感じながらの翻訳チェックの仕事

高校生の頃、英語が好きでいつか翻訳の仕事をしたいなと思っていました。
そして今、翻訳チェックの仕事をすることもあるのですが、すればするほど、翻訳家にはなれない、と強く思います。
翻訳家って、英語ができればできる仕事、なんて単純なものではありません

変わり続ける言葉の使い方を常にキャッチアップすることが必要

SNS用語なんかは日々生まれ続けます
誰かが発したキャッチーな言葉に便乗した流行語っぽいものもどんどん出てきます
そんなのを常に把握しておかないといけないんです。
しかも1つの国においてだけではありません。
日本語を英語に訳す仕事をするなら、日本とアメリカ(やイギリスなど)の状況を把握しておくことが必要です。
日本に住んでいるなら、常にアメリカのメディアをチェックし続けるなど、かなりの努力が必要です。

日本語の意図をくみ取ることが必要

日本語→英語の翻訳の場合について書きますが、日本語は省略が大好きな言語です。
例えば、「今日も頑張ってます」というのは、誰が?何を?というのが抜けています
でも英語には必ず主語や述語、目的語など文の要素が必要です。
「私は今日も勉強を頑張っています」なのか「このお店は今日も頑張って営業しています」なのか。
どういう状況でどんなことを言っているのかを把握して、補わなければなりません

また、日本語にあって英語にはない表現もたくさんあります。
「よろしくお願いします」とか「お疲れ様です」とか。
どういう意図をもっての発言か、によって訳し方も変わってきます。

さきほどの「今日も頑張ってます」の「今日も」もくせものですよね。
中学生英語で直訳すると、I’m working hard today too.になりますが、日本語の「も」を忠実に訳してしまうとなんだか変です。
他にいつ頑張ってたか、に注意を向けたいのかな、という印象になります。
自然な英語にするならtooをas well とか as alwaysに変える、もしくはtooを取ってしまってもいいくらいです。

恍惚感を得られる翻訳チェックの仕事

翻訳の仕事をするには、執筆者の意図を日本語から的確に読み取る力と、翻訳先の言語における今の時代にフィットした表現を使いこなす力
その2つを高いレベルで求められるんです。

翻訳チェックの仕事は、正しく翻訳されているかをチェックする仕事です。
英語としての文法や構文が正しいかや、日本語の意図通りの文になっているかなどを確認します。
なので、まじまじと日本語と英文を見比べるのですが、毎回「うわ~、すごいな…みごとだな…こんなふうに表現できるなんて」と感動するんです。
チェックする立場ながら、「なるほど、そうなりますか!」と心が高鳴ります

村上春樹の(じゃなくてもいいんですが、誰か好きな小説家の)小説を読んで、こんな見事に言い表せるなんてすごい!と思った経験はないでしょうか。
(夫にもこの感動を共有したくて、最初「内村航平の鉄棒競技を見た時の感動だよ」と言ったのですが、全く伝わりませんでした。)
読書がしない人だったら、同じ像の絵を描いてもレベルの違うすばらしい像を描くアーティストに感動するとか。
同じ振り付けのダンスのはずなのに、ダンサーが踊ると違う感動が生まれてくるとか。

そんな感じと同じです。
素晴らしい翻訳を見ると、感動して楽しくて胸が高鳴るんです。
あっという間に3時間くらいたってたりします。

翻訳のAI化は難しいと思う

英語なんて話さなくても、通訳アプリがあればなんとかなる、とか、
翻訳の仕事なんて、AI化したらなくなる、とかよく言われます。

必要な情報を無機質に伝えられればOKな分野では、どんどんそうなっていくと思いますが、私はそうならない分野の方が多いんじゃないかと思います

例えば、論文とか取扱説明書とかはAI対応できると思います。
でも、共通認識がある前提で展開される内容や、人間の感情や思いが入りこむ表現に関わるものは無理です。
会議の議事録や学校からのお便り、小説なんか絶対に無理。

人間が複数人関わって、これはどうすれば最も適切に意図が伝わるだろう、と検討しているくらいなので。
でも、それも割り切る世の中になって行ってしまうということなんでしょうか。
機微がなくなっていくのは寂しい限りです。

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