子どもの習い事は「本人が楽しいと思えるかどうか」だけを基準に選べばいい。

小学生になると習い事をしている子が増えてきます。
息子の友達の多くがやっているのは、スイミング、ピアノ、バレエ、そろばん、習字、バレエなど。
多い子だと、5つや6つも習っていて、放課後に2つの習い事をはしごすることもあるそう。

本人が楽しんでいるならいいのですが…「疲れたー、これから卓球だー」とスイミングバスからふらふらしながら降りてくる子を見ると、ちょっと心がザワザワします。

誰のための、なんのための習い事なんだろう…。

 

同じだけ時間をかけても上達に差がでるのは先生の力量の違い?

小学1年生の姪っ子は、バイオリンを習って1年くらい経ちます。
妹からラインできらきら星を練習する動画が送られてきました。

そして、添えられたメッセージが「きらきら星をなんとか形になるように弾けるようになって喜んでいたら、同じ頃に違う教室でバイオリンを始めた子が、もうクラシックの曲をやっていて、その力の差にショックだった」と。
もっといい先生についていれば、うちの子ももっとできたかもしれないのに。この1年でこんなに差がつくなんて、このまま続けていいのか迷う。」と。

バイオリンの先生と一言で言っても、経験値や指導方針の違い、力量の違いもあり、様々な先生がいるのは事実です。
ただ、そこなのかな…?と疑問を持ってしまいました

 

上達の根本にくるのは、何よりも本人のやる気だと思う

うちの息子はサッカーとトランペットを習っています。
サッカーはクラブなのでチームでレッスンを受けます。
つまり、15人くらいの小学2年生が、同じコーチに同じように同じことを教えてもらうわけです。

不思議なくらい向上心がない息子は、指示を受けた最低限のことをやるだけ
言われたことを言われた時にやっておしまい。
その時にうまくできなくても悔しくないし、もちろん家で自主練もしません

トランペットは個人レッスンですが、こちらも然り。
私が「練習をしなさい!」と言うと、「はいはい」といって素直にトランペットを取りにいきはしますが、最低限の音階の練習と、発表会に向けた曲を2回やったらおしまい
2~3分しかやりません

なので息子は、習っていない子よりはできるレベルでしかありませんが、同じ先生に教えられていても、その習い事が好きで好きで仕方なくて、上達するのが嬉しかったり楽しかったりして、もっとうまくなりたい、と思う子はレッスン以外の時間の努力も重ねるので、すごいスピードで伸びています
実感値として明らかに見てわかります。

どれくらいその習い事を好きだと思わせてくれるか、というモチベーションの持たせ方のところでは、もしかしたら差が出るのかもしれません。
また、ある程度まで力が伸びた時、その先どれくらいさらに伸びるかは、指導者や指導方法によるところもあるかもしれません

でも、小学生の習い始めにおいては、先生による違いはあまり出ないのではないかな…。
少しやってみてもっと極めたいと思えば、そこから指導者選びを始めればいいわけで。
実際、さらなるレベルアップのためにサッカークラブやスイミングの教室を移籍している友達も何人かいます。

親のやらせたいことではなく本人が好きなことをやらせる

継続や上達にはモチベーションが深く関係していると思うので、私は息子がやりたい習い事しかさせていません。

サッカーは学童でサッカー大会を経験して興味を持ったのがきっかけではじめ、トランペットは私の実家にあったものを吹いてみたら上手に音が出たのが嬉しくて、始めました。

サッカーもトランペットも「やる気がないなら辞めていい」といつも話しています。
どっちの習い事も向上心が私の目には感じられないので(!)練習がある日はほぼ毎回、続けるかどうか意思確認をしています。
無理やりやっても時間の無駄だし、先生にも失礼だと思うから。

ちなみにスイミングはつい先日辞めました。
学童から直接スイミングバスに乗って行かせていたのですが、バス停まで行くもののバスが来ると、「忘れ物をした」「急にトイレに行きたくなった」と1カ月間ずっと理由をつけて休んでいたんです。

ママ友に言うと「うちなら『行け!乗れ!』って行かせるな」と言われましたが、そこまでモチベーションがない状態で行っても、本人は楽しくないし、親もイライラするし、上達もしないだろうし、誰も何の得もしないなと思います。

本当は、そろばんや習字や公文を習わせたいという気持ちもあるのですが、一度固辞されたのでそれ以来すすめていません。
習い事の時間にその場に行くだけ、になるくらいなら、本人がやりたいと思った時にぐっと集中してやる方がいいかな、と。
やる気が出れば、十分に追いつけるだろうと信じています。

 

上達することが目的ではなく、広く浅くいろんな体験を好奇心を持ってやることが大事

私の期待値が低いと言ってしまえばそれまでなのですが、サッカーを習ったからと言ってサッカー選手になってほしいわけではないし、トランペットをきわめてトランペット奏者になってほしいわけではないです。

本人が楽しくて、満足できれば、たとえ周りが「せっかく習ってるのにその程度なの?」と思ったとしても、十分に意味があると思っています。

人生生きていくうえで、ちょっとだけ人より得意と思えることがあると強味になります。
いろんなことを経験しておくことで、そこから派生して興味や知識が広がっていくと思います。

英語が小学校でも2020年から教科科されることにともない、英語を習う人が増えています。
私は会社員時代、英語教育にも少し関わっていたのですが、専門家の先生方はみんな口をそろえて「子どもの頃に英会話尾ならう必要はない」とおっしゃっていました。

私も「英語を話せるようになる」という目的で習おうとするなら、「習う必要がない」ということに心から同感します。
英語はそれ自体がゴールではなく、単なるコミュニケーションのツールです。
使う必然性がないのに、話せるようになるわけがない。
ただ、「英語を好きになる」「英語に対する苦手意識を持たないようにしておく」という目的で習うなら、ありだとは思います。

うちの息子は英語を習わせることがその点において逆効果になりそうだったので、やめました。

 

大人の習い事と同じで、やりたいと思うことを楽しめればいいと思う

子どもには無限の可能性があるので、ついつい過剰な期待をしがちです。
こんな習い事をすれば、あんなこともできるようになるかもしれない、こんな将来が待っているかもしれない、と。

大人はただ「趣味」として習い事をする人が多いのに、子どもの習い事となると「特技」にすることを期待してしまう
本人の意向も伴っていればもちろんそれは素敵な目標であり、夢だと思うのですが、大人の意思が本人の意思を大きく上回ってしまうような状況になると、それはちょっとかわいそうでは…と思ってしまうのです。

楽しんでできるなら、どんなレベルだっていいじゃない。

色々やっていくうちに、本気で極めたいと思うものに出会えるかもしれません。
好きなことをやっていればそれが素地となり、いつかそれが1つの形に集結して、何かの役に立つと私は思っています。

 

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