拒食症だった私は母の”まるで無関心”対応に救われました

先日母から電話がありました。
「友だちの娘さんが拒食症になって心配をされている。あんたはなんで食べられるようになった?」と。

日頃、病歴を意識することなく生活できているので忘れていましたが、そういえば高校2年生の時に私も拒食症を経験しました。

当時は拒食症であるという自覚もなく、病名を付けられそうになると食ってかかっていましたが。

 

きっかけは特になく、ある日急に食べたくなくなった

拒食症は心理的ストレスからくる精神疾患で、「痩せたい」という強い思いがきっかけになることが多いと言われています。

私が食物をうけつけなくなったのは高校2年生の春ごろ。
ある日を境に、急に物を食べたいと思わなくなりました。

それまでは「そんなに食べたら太るよ!」「食べ過ぎじゃないの!?」と心配されるくらい食べていたのに。

たくさん食べている割にはそんなに太ってないと思っていたし、病気になるくらいの強い心理的ストレスがあったという自覚はありませんでした。
だからこそ、拒食症の症状があらわれて、どんどんひどくなっていっても”私は拒食症なんかじゃない”と思い続けました

一度母に大学病院の精神内科に連れていかれましたが、それっきりでした。
私の症状や対応をみて医師が判断したのか、母が無理に連れて行くのをあきらめたのかはわかりません。

 

1日3回食事の時間がくるのが怖くて仕方ない

食べられなくなってからは、食事の時間がくるのが恐怖でした。

朝ごはんはみんなドタバタしているので食べなくてもそんなに目立たないのですが、お昼ごはんは友だちとお弁当を広げないといけないので、食べていないことはすぐにばれるんです。

2時間目くらいから、”ああ…あと2時間でおひるごはんだ…”と暗い気持ちでカウントダウンしていました。
今日は何と言って食べずにおこうか、ということで頭がいっぱい
「今日はなんだか胃の調子がよくないから」と結局同じような理由を繰り返していた気がします。

 

夜ごはんは母と祖母と妹と食卓を囲まなければなりません。
みんなと同じだけ盛られた食事をみると胃が圧迫されて食欲がますますなくなりました。
ここでも「今日はちょっとおなかすいてないから…」と毎日つぶやいていたような。

 

食べなければならない状況に追いやられる切迫感、それをなんとか乗り切らなければというプレッシャーでますます気持ちが疲弊していきました。

食べたいとは思わないし食欲もないけれど、胃が落ち着かず違和感があったので、ベルトをきつく締めて圧迫することでそれを緩和していました。

 

ぺらっぺらな身体なのに全然痩せていると思わない

食べられなくなる前は155センチで47キロくらいだったと思います。
それがみるみる減って、あっという間に35キロを切りました。

持っていた洋服がすべてぶかぶかになり、ベルトも短く何回も切りなおして使いました。
友だちからは「うすっ!板見たいだよ…」と言われました。
生理も止まりました。

でも、痩せているとは思えませんでした。

だってまだつまめるお肉があるから。

 

体力の著しい低下で急に命の危険を実感した

「自分が痩せているという実感はないし、もっと痩せたいとも特に思っているわけではない。ただ、食べたくないから食べないだけ。」

迷いなくそう思っていた私も秋ごろになって、このままでは命の危険があるかもしれないと思うキッカケがありました。

夜ごはんの時間のあと自分の部屋で勉強をしていた時、使っていたペンが転がって床に落ちたんです。
それを拾おうと思った時、「身体を傾けてペンを拾って、もう一度身体を起こすためのエネルギーが今の私にはない」と気づきました。
落ちたペンを拾うこともできないくらい、体力が落ちていました。

自分の体力低下はこんなにひどかったのか…とショックで勉強は続けられず、でもベッドまで移動する体力もなく。
机に突っ伏したままの状態で朝目覚めた時、「まだ目を開ける力が残っててよかった…」と思った記憶があります。

 

発症と同じく何の前触れもなく食べられる瞬間が来た

ようやく自覚症状ができた後も、食べたくない気持ちは変わらず続きました。
このままでいいとは思わないけど、どうしたらいいかもわからない。
本当に死んでしまうかもしれない…と恐怖の中数日がすぎたある日。

夜ごはんの食器が片づけられた後、机の上にふかし芋が3つくらい乗ったお皿だけが置かれていました。
いつもなら無反応に通り過ぎるところ、なぜかその日は「食べられるかも」と思ったんです。

一番小さいのを手に取って、ひと口食べてみたら「おいしい」と思えました。
何口も食べ続けることがしばらくなかったので、ふた口、み口、と様子をみながらゆっくり食べ進め、最終的にはサツマイモ1つ分を完食することができました。

何の罪悪感も抵抗感もなく食べきれたことがうれしくて、驚きで、「食べられた!なんでかわかんないけど食べられた!!!」と何回も声が洩れました。

 

今思うと母の無関心にも見える対応が救いだった

ふかし芋が食べられたことに喜ぶ私の横で、母は私以上に喜んでくれていました。

日々やせ細る娘を前にして心配しない親はいないと思うのですが、それまで母は”私が痩せているのに気づいていないのかな?”と思うことがあるくらい、いつも通りの対応を続けてくれていたんです。

 

無理やり食べろとはもちろん言わないし、どれだけ残してもいつもどおり「もうごちそうさまなの?そう…」というだけ。
お弁当持参の高校でしたが、毎日変わらず作って持たせてくれていました。
私の状況を見ると、ちゃんと食べているわけがない、とわかっていたはずなのに。

 

そのいつもどおりの対応に、私はかなり救われていたと思います。

初期の自覚症状がない時に心配されても「病気なんかじゃない」と突っぱねるだけで、むしろもっと痩せてやると思っていたかもしれない。
自分でもなんとかしないといけないと気づいた時に心配されたら、ますますどうすればいいんだろう、と追いやられていたかもしれない。

 

先日の電話の時に「お母さんもあの時自分(母)が死ぬんじゃないかと思うくらい心配した」と言われました。

死ぬほどの心配を自分の中だけにとどめてくれた偉大さに感謝します。

 

おかげさまで、”また痩せすぎては心配をかけるから”と、今日もバターたっぷりの焼きたての塩パンを2つつまみ食いしながら家族のごはんの準備ができています。

 

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