人間関係の断捨離をやってみた
整理整頓が苦手なので、散らかるなら原因を根本からなくせばいい。
なのでなるべく物を持たないように、日頃から断捨離しています。
書籍でストレスを失くす人生のためには人間関係の断捨離を!と書いてあるのを見たことはありましたが、なかなかそこまではやれずだったのですが。
今回、初めて人間関係の断捨離をやってみました。
そして分かったのは、無理やり関係を切るのではなく、本来切れているはずのつながりを無理に続けているのを辞めればよい、というだけのことでした。
小学校からの友達に感じ始めた違和感
Yちゃんとは小学校の時からの友達でした。
私は中学受験をしたので、中学からはバラバラだったし、大学以降は私が実家を出たので距離的にも離れたのですが、帰省する時に合わせて年に1回は会っていました。
10年くらい前のYちゃんの結婚式にも出ました。
ただ、Yちゃんの出産を機に、だんだんと距離があいてきたんです。
育児が忙しいからという理由で、私の帰省タイミングでも時間を調整できないと言われることが多くなり、会う回数は減りました。
それでも何度かはお家に遊びに行ったのですが、そこでも違和感があったんですよね。
もともと一人っ子のYちゃんは大切に大切に育てられ、結婚後も新居の隣にご両親が引っ越してきたほど。
Yちゃんは主に自宅でピアノの先生をしているのですが、育児と仕事の両立ができないということで、家事はほぼ全て実母に任せていたんです。
食事は自分で用意したことは数えるほどしかないのだとか。
離乳食含め…。
一方の私は当時はまだバリバリ会社員で、実家も遠く、夫婦だけで死にもの狂いで仕事と家庭を回していたわけです。
ピアノの授業は週に10コマくらいで、それで、そんなか…と思ってしまったんですよね。
家事以外にも、買い物を頼んだり、孫の習い事の送り迎えを頼んだり…。
そのうえ、やり方が気にくわないとか、タイミングがよくないとか文句を言い続けるという。
もうあなたが母親なのに、なんでまだそんなに甘えてるんだろう、と違和感が残りました。
習慣だけでつなぎとめていた友達という関係性
この5年くらいは会うこともなくなり、年賀状とお誕生日プレゼントを送りあうくらいになっていました。
ただそれも、私の誕生日は11月なのですが、12月に届いたりするんです。
たまに何かを質問するラインが届いて、それに返事を返しても、それっきり何も反応がなかったり。
こういうタイミングの測り方も合わなくなり、だんだんやり取りがストレスに。
でも小学校からの友達という長年の付き合いもあるし、その肩書にも惚れていたのかもしれません。
変わらずこちらからは時期に合った対応を続けていました。
誕生日が近づいてきたら、Yちゃんのプレゼントを選ぶ、というのは染みついた習慣になっていました。
ついに誕生日プレゼントを選べなくなった
それが今年はいつもと違う感情を持ちました。
3月のYちゃんのお誕生日を前に、プレゼントを買いに行ったのですが、決まらないんですよね。
なぜなら、今のYちゃんのことを私は何も知らない、と気づいたから。
何が好きなのか、どういうものが役に立ちそうなのか、何もわからない。
ただ予算だけがあって、それに合うように商品を組み合わせる…私、何やってんだ!?ってなりました。
実際、Yちゃんから毎年届くプレゼントも、これは…いらない…っていうことばっかりだったんですよね。
その瞬間、よし、やめよう、と思いました。
もともと習慣で無意識的にやっていただけのこと、気持ちがこもってないならお互い負担なだけ。
気分がすごく軽くなりました
プレゼントを贈らなければ、妙な時間差でのラインのやり取りもしなくてよくなります。
何もしないままYちゃんの誕生日が過ぎた翌日、なんだかホッとした気分になりました。
去年までは、無事にプレゼントはついたのかな…連絡ないけど大丈夫かな…と無駄にドギマギしてたんですよね。
友達は常に変わっていくもの
状況が変われば価値観も変わっていきます。
表面的な興味が変わったとしても根本的なところが一致していればいいのですが、そこから違ってくるともはや友達であることは無理なんです。
小学校からの友達、ということにとらわれていたけれど、妙な固執だったのだと思います。
断捨離はすでにいらなくなっているものに気づくこと
人間関係の断捨離と聞くと、かなり衝撃的な印象を受けますが。
断捨離は物でもそうですが、無理に捨てるわけではないです。
今の自分に必要でないものをなくすこと。
もともとすでに必要ではなかったけれど、なぜか宙ぶらりんにそこにあるものの、ぶらんぶらんの紐を切るだけ。
もともとほとんど無いに等しかったものであれば、そこをはっきりさせることでモヤモヤ感がなくなり、自分に今大切な価値観がより明確にわかるようになります。