「現代の医療ではもう治せないんだって」と言った乳がんの友人。医学の進歩には精神的サポートも期待される
本庶佑さんがノーベル医学生理学賞を受賞されました
昨日の夜ご飯の後。
いつもなら子どもたちのアニメタイムなのですが、番組を切り替える直前に聞こえたノーベル医学生理学賞受賞のニュース。
「お願いだからちょっとだけ見せて!」とNHKをつけさせてもらいました。
がんの治療に貢献したことが評価されて受賞されたという。
詳しいことは一度聞いただけでは咀嚼しきれたかどうか疑問ですが、
とにかくこれまでとは違うシステムでがんを治療する薬の開発に貢献されたというのはわかりました。
本当におめでたいことで、嬉しく思いました。
もっともっとがん研究が進んで、全然怖くない病気に早くなってくれ!と強く思いました。
明日、10月3日は乳がんでなくなった友人の3回忌
同じ会社で同じタイミングで同じ部署に配属された同僚がいました。
歳は少し上でしたが、とても穏やかで、知見が広くて、何を話しても受け止めてくれる人。
ランチに行ったり、たまには休日もお茶をしたり、仲良くさせてもらっていました。
風邪もほとんどひかない彼女が、ある日急に体調を崩したと言って長期のお休みをしたんです。
お休みから戻ってきた彼女とのランチの時に「実は乳がんだったんだ」と教えてくれました。
その最初の手術から5年の闘病生活ののち、3年前の10月3日に彼女は亡くなりました。
3回の乳がん検査でも見つけられなかった乳がん
彼女の病気の発覚は自覚症状からでした。
明らかにしこりがある、というので乳腺外来に行ったそうです。
マンモグラフィーやもちろん触診もしたでしょうし、もしかしたらエコーも併せて実施したかもしれない。
でも「乳がんではありません」と言われた。
ほんとに?と思う反面、やっぱり安心したし、嬉しかったそうです。
ただしばらくして、しこりが大きくなってきていると感じて、違う病院へ行きました。
そして、そこでの検査結果も「乳がんではありません」でした。
でもこの時は前回のようには安心できず、間を開けずにさらにもう1つの病院へ行ったそうです。
そしてそこでも乳がんとは言われなかったと…。
なので、彼女は「生体検査をお願いします」と自分から言ったそうです。
乳房に針を刺し、細胞を取り出して行う検査です。
その結果は陽性、乳がんでした。
病気になった後もほとんど弱音を吐くことがなかった彼女が一度だけ悔しそうに言っていました。
「もうちょっと早く、あと数か月でも早く発覚していたら、結果は違ったかもしれないんだよな」と。
入退院を繰り返しながら、最後まで仕事を続けました
5年の闘病生活は、とても生半可なものではありませんでした。
切除手術をし、抗がん剤治療をし、定期的に検査をし。
5年の間に様々なフェーズを経ましたが、そしてそれは半端ない傷みや苦しみを伴うものでしたが、休みを取りながらも彼女は仕事を続けました。
抗がん剤で髪の毛が抜けてカツラになった時に「髪型変えたんだね!」と言われても明るく返したり。
点滴注射の副作用で気分が悪くて食欲がない時も、誘われればランチに行ったり。
同じく副作用で腕がパンパンにむくんだ時は、夏でも長袖で隠したり。
残業も出張も、体調の良いタイミングに合わせる形で調整してこなしていたし、上長と私以外に病名や病状については伏せていたので、最後まで周りはがんだとは気づきませんでした。
肺、脊髄、骨、皮膚への転移
乳がんとわかってから3~4年くらいした頃のランチの際、ずっと咳をしていました。
乾いたような軽いコンコンという音の咳です。
風邪をひいたのか聞いて、返ってきた答えが「肺に転移しちゃって」でした。
驚いたのと、ショックなのとで、返事ができなかった。
そしたら彼女が続けて
「変な咳がずっと続くし、背中も痛いなと思っていたんだよね。もしかしたら…というのは頭をよぎったけれど、そのうち治まればただの風邪っていうことだし、と思っていたら、先生に検査をしましょうって言われて。そしたら、やっぱりもしかしたら、だった。肺と脊髄と骨と皮膚に転移したの。」
「風邪じゃないから咳がうつることはないんだけど、周りの人は気になるだろうから一応マスクはしてるんだ」と。
現代医療での限界
それを聞いて「大丈夫なの?」なんて気軽には聞けなくて。
なんとか「そう…」という私に、それをくみ取って説明してくれました。
「お医者さんには、もう現代の医療では治すことができないって言われたの。どうやって進行を遅らせて、どうやって少しでも長く生きていけるかを探るフェーズだって。現代医療の限界なんだって」
「でもね、気持ち的にはもう落ち込まなかったよ。最初に乳がんになった時にさんざん泣いて、さんざんいろんなことを考えたから。今回は”ああ、そうですか”っていう感じで受け入れられた」
今思い出しても涙が止まりません。
いつも気丈にふるまっていた彼女ですが、思い返せばそれまでも言葉の端々に悔しさがにじみ出ていました。
病院での治療はもう期待できないので、いろんな民間療法を試していたようです。
がんは体温が低いと活性化するので、体温を上げるための施術なども受けていました。
細くても、もっと長く生きられると思っていた
亡くなる1か月前には、東京から実家のある大阪へ戻っていました。
その頃には「いつ何がどうなってもわからない」と言われていたそうです。
酸素マスクをつけて、車いすでの生活。
新幹線にはストレッチャーのまま乗ったと言っていました。
そんな体調になってでも、一人暮らしで東京にいたのはなぜか聞いていません。
治療・現状維持の選択肢が多かったからなのか、実家に帰るということはそういう時だと決めていたのか。
ずっと観に行きたいと言っていたシルク・ドゥ・ソレイユをご両親と3人で観に行った日の夜、体調が急変して亡くなったそうです。
検査入院中のあまりの急変で、ご両親も看取ることができなかったそうです。
お母様は「細くても、もっと長く生きられると思っていたのに。先生が言うのは正しいですね。ここしばらくは元気そうに見えていても、本当に急変するんです。また明日病院に迎えに来るね、と言った数時間後でした」と教えてくれました。
がんの治療を気持ちの面からも支えてくれる医学の進歩を祈ります
今回のノーベル賞受賞の対象となった本庶さんの研究で新しい治療法が見つかったり、
がん検査が簡易化されて早期発見が可能になったり、
日々少しずつ医学の進歩が感じられはします。
少しずつ、不治の病だったところから、治る病気になってきている印象も受けはします。
がんは病気そのものの傷みや苦しみ以上に、精神的な苦痛が大きいように思います。
「現代医療での限界」と言われた時の絶望感を感じる人が減りますように。
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