過保護の基準 過保護に見えるかどうかは日ごろの行いによるのだ(涙)
場面場面で、「あなたは過保護だ」というようなことを言われることがあります。
みなさんは、どう感じられるでしょう。
息子は小学2年生です。
ケース1 サッカーへの自転車での送り迎え
息子はサッカーを習っていて、毎週土日に練習があります。
練習場所は毎回違っていて、自転車で数分~15分くらいの距離にある複数の小学校のグラウンドや体育館を転々とします。
「もう小学生だし子どもたちだけで集まって行かせよう」という話が出たこともありましたが、いつの間にか自然に消え。。。それぞれで通っています。
15分かかる遠めの場所でも一人で自転車を漕いでくる子もいますが、うちは数分の距離の小学校でも、必ず送り迎えをしています。
車がないので、自転車での送り迎え、もしくは雨の日は徒歩での送り迎えです。
そうすると、「そろそろ一人で行きなよ~。お母さんが大変じゃない。」とよく言われるんですよね。
不思議なのが、そう声をかけてくるのは決まって、自分は車で送迎している人なんです。
あなただって、車に子どもを乗せているではないか…?
自転車や徒歩での送迎の方が車での送迎より大変に見えるから…?
「もうそろそろ一人で行けるのでは?」と言われるけれど、能力的にひとりで行けないから送り迎えをしているのではないのです。
理由は2つ。
1つ目の理由は、息子は親が自分に関心を持って関わってくれているということがモチベーションになるタイプだから。
玄関で「行ってらっしゃい!」と言われるのと、グラウンドまで一緒に来て「頑張ってきてね!」というのでは、頑張ろうと思うモチベーションが変わる。
それを甘えだと言われるとどうしようもないのですが…誰だって自分に関心を持って応援してもらえていると感じられるのは嬉しいことではないでしょうか。
それをどういう形で表すか、どう感じるかは人それぞれで。
2つ目の理由は、行きかえりの道の治安が心配だから。
息子が交通ルールをきっちり守ったとしても、どんな暴走をする車がいるかわかりません。
通り魔が日中に出ないとも限りません。
日々不幸なニュースを見るにつけ、いつ何が自分事として起こるかわからない不安に駆られます。
そして、そういう外部要因によるリスクは、数分の距離だから安心だというのは何の説得にも安心の根拠にもならないのです。
正直、送り迎えは面倒ですが、でも、万が一のことが起こって、一生後悔することは絶対にしたくない。
アメリカでは12歳までは同伴が義務
様々なお国事情があるので一概に比較はできないのですが、
アメリカでは12歳までの子どもの外出には必ず親が同伴する必要があると聞いたことがあります。
街中を12歳以下の子どもだけで歩かせたら、それは法による罰則の対象になります。
通学時もスクールバスに乗らない場合は、門までの送り迎えは当たり前。
それは過保護なのではなく、子どもの安全を守るために当然のことでなんです。
日本は治安がいい国だと言われてきましたが、どうも私にはそうは思えない。
市のメーリングリストに登録していると、毎日必ず何通かの不審者注意情報が発信されます。
毎日、市内で数人の不審者が出ているわけです。
家の前の道でも、何度も赤信号で突っ込んでくる車に遭遇しました。
インターネットにつながったゲーム機を小学生も持つようになり、見えないところでどうやって外部とつながってしまうかもわかりません。
「夜道だって一人で帰らせたら帰れるもんだよ」なんて言う人がいますが、
これまでは帰れた、というのは過去の事実でしかなく。
明日も無事に帰れる、というのは何パーセントかの不運に合わなければの話。
「夜道を一人で歩いても安心な日本」なんて小学校の時に習いましたが、そんなのはもう昔の話。
もちろん、いろんな事情で送り迎えができないこともあると思います。
でも、面倒くさいな…と思う程度なのであれば、守れる限り子どもを守るために、送り迎えをするのは親としては当然の感情であり責任だと思うのです。
ケース2 就寝時の寝かせつけ
元会社の後輩と話したときのこと。
「寝る時は左に娘、右に息子で、手をつないで一緒に寝ているから肩がこる」と言ったら、ものすごく驚かれました。
「8歳になってまだ一緒に寝るんですか!!??」と。
「でも、そういう子が増えているみたいですね、過保護っていうかなんというか…モゴモゴ…」と。
その後輩はご両親が6歳の時に離婚をして、お母さんはずっと仕事で家をあけることが多かった。
だから、6歳の自分と3歳の弟で家事もやったし、もちろん自分たちだけで眠りについた。
それが普通だったし、それくらいのことは何の支障もなくできたそうです。
確かに身近なお友達でも保護者の状況に関係なく、教育方針として”なんでも一人で”な子もいます。
素直にまだ小さい頃から一人でいろんなことができるのはすごいな、と思います。
ただ、4歳離れた妹の寝かせつけをする母の横で一緒に寝たいと思う8歳はおかしい、とは思えないのです。
お母さんのことが好きだと思うのは当然の感情だし、妹と同じくらい、もしくはそれ以上に自分に愛情を注いで欲しいと思うのも当然だと思うのです。
母親が21時に一緒にベッドに入って眠れる環境にある、だから一緒に寝る。
それは過保護なのだろうか…?
そもそも過保護とは
そもそも過保護ってなんだろう…。
過保護とは
子供などに必要以上の保護を与えること。また、そのようにされること。また、そのさま。
【出典 デジタル大辞泉】
過保護(かほご)とは、ある対象を過剰に保護することである。
過保護は、特にこどもの養育において、必要過多な保護、甘やかしを行う場面が多く、こども自身の自主性を尊重し過ぎ、まともな社会人として巣立つのに必要な躾けをせずに済ますことを指す。
【出典 Wikipedia】
つまりは、子どもが一人でできるようにならなければならない事項に対して、
必要以上に手を出し過ぎることで本来の成長過程に悪影響を及ぼすこと、ということですね。
過保護の線引きは難しい 日頃のしっかり度合いで見え方も変わる
この「必要以上に」というのはとても難しいです。
定義としての認識に個人差があるのはもちろん、必要な度合いそのものにも個人差があるから。
そしていろいろ考えた結果、過保護に見えるかどうかは、その子の日ごろの行いによるところな気がします。
しっかりした子であれば、多少の過保護も単なる仲良しに見える。
けれど、ふにゃっと頼りない子であれば、過保護だからそうなってしまうのだ、と言われる。
うちの息子は自由奔放すぎるので、きっと甘やかされた結果だと思われるのでしょう。
家では怒りすぎと母や夫に注意されることもあるくらい、息子には指導をしています。
でもママ友からは「〇〇ちゃんは優しいから~。あんまり怒らないでしょ?」とよく言われます。
最初は穏やかな育児という誉め言葉だと捉えていましたが、最近は逆。
しつけが足りてないようにみえるのかな…と思うようになってきました。
過保護ではないはずのことをやって過保護と思われないようにするためにも、もう少ししっかりとした小学生男子になってほしいです…がやろうと思ってできるものでもないですよね。
将来、きちんとした大人に成長させることで、過保護ではなかった、と証明するしかないかな。
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